2011.02.22 Tuesday
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例の小6女児殺害事件について今ごろ情報を漁っていると、ブロードキャスターでは福留氏が案の定パソコンやインターネットを悪役にしていた。
たしかに、大人でさえ顔や名前の見えない相手とのエゴとエゴの衝突が耐えない場所である。子供の人格形成に影響を与えないとは思えない。
自分も実は「自我やコミュニケーション能力が未成熟な段階でネットに接するのは危険だ」と思っているクチなのだが、自分が理解できない新しいものは十把一絡げで悪とみなす人たちと同じ側に立ってるのかと思うとゲンナリする。
それにしても、今の小学生の半数近くがWWWを閲覧できる環境があると知って驚いた。表題は少々アジってみたが、実際問題として今後もWeb人口の低年齢化は進むだろうし、それは止められないだろう。
だとしたら最低限、相手の主張の要旨が理解でき、自分の意見を相手を刺激しないように伝えられ、分かり合えないと思ったら身を引く程度のコミュニケーション能力を「技術」として義務教育に組み込むことがこれからの社会と個人の両方に必要になっていくのではないか。
その技術については自分も甚だ自信がないが。
長崎の事件とはあまり関係のない話になってしまったが、あれはネットとかそういう次元の問題ではない何かが起きていると思った。
「企業は警察の摘発に頼り、著作権法違反を防ぐようなビジネスモデルを模索しない。現行の体制を崩壊させ、著作権法違反をまん延させるため、ウィニーを作った」
「今の著作物に対する課金システムは古い。ユーザーはクリエイターに直接、金を払うべきであってCD業者などへの中間マージンは無くてもいいはず」
「クリエイターに直接お金が支払われるなら、ソフトはコピーフリーで構わない」
(YOMIURI ON-LINE 2004-05-10/11記事より抜粋)